起立性調節障害の娘が元気になるまで♡

小学6年生で起立性調節障害になった娘、元気になるまでの記録です。

起立性中学3年生、体調が悪くなり高校進学に揺れる秋

小学6年生で起立性調節障害と診断された娘も、中学3年生の2学期を迎えた。
高校進学は全日制を希望して、夏以降も私立女子高校のクラブ体験などに参加して、高校生活を楽しみにして、希望を持っているようだった。

しかし相変わらず体調は優れず、学校はほとんど夕方からしか行けていない。

10月初旬に中間テストがあり、午後受験させてもらえることになっていたが、体調が悪く夕方登校が精いっぱいだった。

そして、18時ごろ学校から電話が。

娘が下駄箱で倒れて動けなくなっているところを、警備員の人が見つけ、自力で帰れないから迎えに来てほしいという。

学校で倒れたという知らせに、私は心臓が止まりそうなくらいびっくりした。

保健室に迎えに行くと、彼女はベッドに横になっていた。

私を見ると、先生の手前照れくさいのか、笑いながら「起こして」と手を出した。

抱きかかえるように起こして、靴を履かせる。

やはり一人では立っていられない様子。

手を引きながらエレベーターで降りて校門の方へ。

先生が呼んでくれたタクシーで、歩いて10分程度の我が家へ帰った。

学校で倒れたのは初めてだった。

聞けば、急に気分が悪くなり、動けなくなったのだという。

ここ最近は、登校時も気持ちが悪くなることが増えていた。

その後も下校時に先生から、顔色が悪く帰れないようなので迎えに来てほしいと連絡が来ることが増え、そのたびにタクシーで帰ったり、寄り添って歩いたり…
在宅ワークだが、すぐに迎えに行けない時は、先生が送ってくださることもあった。

ある時は先生から「今日は大丈夫そうです。今から学校を出ます。」と電話があったが、30分ほど経っても帰ってこない。
心配になって学校までの道を探しに行くが、辺りは真っ暗。

焦りながら探していたが、ようやく校門を出たすぐのベンチで彼女を見つけて、本当に安堵した。

どうやら先生に心配されないように、校門を出たところで座ったらしい。

そんなことが続いていた中、体育大会のイベントがあった。
クラスでの休日練習の集まりにも参加して、中学最後の体育大会に参加するのを楽しみにしていた。

しかし、当日午後からしか登校できず、登校するとほぼ体育大会が終わっていた。

みんなが盛り上がっている中、輪に入れない疎外感を感じたようだ。

体育大会には、私も見学しようと付き添って一緒に登校したが、歩きながら何度も吐き気に襲われていて、気持ちが悪そうだった。

自分だけなら登校してなかったかもと後で言っていた。

私が見学したいかと思って、気を遣って登校したのもあったようだ。

確かに、昔から運動会やらは保護者にとっても楽しみな行事だ。

本人が参加したいだろうから連れて行かねばと思いつつ、参加している姿を見られたらいいなと思っている私もいたと思う。

何とも親のエゴで、しんどいところ無理をさせてしまった。

そして結果参加できず、みんなだけで盛り上がっているところを見て寂しい思いをさせることになってしまった。
既に、彼女は毎日皆と違うところで頑張っていたのだから、当日の様子を見て参加をあきらめる判断も必要だったのかもしれない。

 

でも、終わったことは変えられない。

そしてさらにその後登校の割合が減っていった。

それは高校進路にも影響を及ぼすこととなった。