小学6年生で起立性調節障害と診断された娘も、どうにか中学校を卒業、高校入学を迎えた。
中学3年の後半は、ほぼ登校できておらず、高校になっていきなり満員電車に乗って朝から登校できるのか心配だった。
中学校は自宅から近いので、在宅勤務で何かあれば学校と連携することができたが、高校はそうもいかない。
入学前、午前中は頭痛で起き上がれず、夕方まで動けない日も多かった。
外出時にも歩いているだけで匂いが気になり、気持ちが悪くなることもしばしば。
こんな状態で、朝起き上がり、身支度をし、駅まで歩き、満員電車に乗って、学校まで登校できるのだろうか…
悩んでも、考えても、答えが出ない問題に、入学の日まで不安がいっぱいだった。
会社も4月から出社割合を増やすようにとのこと。
一緒に電車で出社・登校できればちょうどよいが、出社するつもりで、娘の具合が悪くなったら、私も仕事の予定が狂うかもしれない。
娘の体調と登校問題だけでなく、自分の勤務体制への影響も不安だった。
4月までに会社の上長や、人事部長に直接嘆願し、娘の体調に合わせて融通させてもらえることになった。
登校に慣れるまで、付き添って一緒に出社、登校することにした。
登校初日、バタバタ。
家を出る前、強い吐き気に襲われる。
緊張や不安もあるのかもしれない。
なんとか駅まで寄り添って歩く、歩く途中にも吐き気が何度も。
そのたびにペットボトルの水とタオルを渡す。
水を飲むと、吐き気がおさまるのだ。
このころ外を歩くと吐き気を催すので、かわいいエチケット袋を常にポケットに準備していた。
満員電車、荷物は横で持ってあげる。駅に着くたび、人が流れ混んでくる。
押されないよう電車の中へ進み、しっかり手を握り合っていた。
何とか、目的駅に着く。
ここで会社と学校への道に分かれて出社、登校。
なんとか余裕を持って、学校に着いたようで、一安心。
2日目からは、音楽を聴いていると気分がましになるようで、イヤホンをして登校するようになった。
なんとか登校できたが、帰り際疲れて友達の前で泣いてしまったそうだ。
吐き気もあったようで、保健室でお世話になった。
なんとか1週間続けて登校できた頃、疲れでしんどくなったのか、電車でリュックを抱えてポールに寄り掛かってしまった。
その日は電車を降りても自力で歩けず、支えながら、タクシーに乗った。
しかし、徐々に吐き気もましになり、満員電車にも慣れ、要領よくつり革を取り揺れにも動じなくなった。
帰りは友達と遊べるのが楽しくて遅くなる日々、毎日駅まで迎えに行った。
保健室に行ったり、授業中しんどくなったりすることもあったようだが、友達と放課後遊べるのがうれしくて、毎日奇跡的に通った。
お友達ができて、楽しくてしょうがない。
駅からの帰り路、楽しそうに毎日の出来事を話してくれる。
友だちと遊べることが毎日登校する原動力になっていた。
休みの日はぐったりだったが、4月から5月まで休まず、朝から登校できた。
着たかったかわいい制服と、大好きな友達と居場所ができたこと。
こんなに学校に通えると、晴れやかな気持ちになるのか。
本当に通えたことが驚きで、楽しそうな娘の顔をみるのがうれしかった。