卒業式が近づいてくる。
小学6年生で起立性調節障害と診断された娘、高校進路も決まり中学生活もあとわずか。
相変わらず、中学校には週1回放課後登校する程度。
卒業式の数週間前から、「卒業式は出ない。」と言っていた。
「そう…」
少し内心びっくりしながら、でもやはりそうかと思う。
動揺を見せないように聞いてみる。
「いいの?寂しくない?」
多分、寂しいのは私だ。
実際、夕方まで動けない日が続いていた。
頑張って朝起き上がって行けたとしても、式の間中ぴしっと座って、事あるごとに「起立!」「礼」「着席!」の動作を俊敏に皆と同じようにはできないだろう。
きちんとしたい彼女にとっては、みんなの前でしんどい姿も見せたくないだろうし、また倒れるかもしれない。
言いたい気持ちはあるけれど、本人の気持ちを尊重することにした。
本当は、親としてとても複雑で寂しい気持ちもあった。
でも、思い出すのは秋の体育大会のこと。
運動会に向かう途中から気持ち悪いと言っていた彼女。
遅れて到着すると、ほぼ種目は終わっていて、参加することができなかった。
帰った後、「運動会見せてあげられなくてごめんね」
と、私に言った。寂しそうに。
私は、彼女は私に気をつかって無理をしたんだ、とその時気づいた。
確かに、私は運動会を楽しみにしてしまっていた。
子どもが頑張ってる姿を見たいと思うのは、親のエゴなのかもしれないな。
既に彼女は、毎日頑張っている。
親の希望や期待で、これ以上ストレスを与えてはいけない。
私は、ただ寄り添って、見守るべきなのだ。
そう自分に言い聞かせてみる。
だから、卒業式も参加を押し付けないことにした。
頑張れとは、ずっと言ってない。
彼女の状況で、そう言われるのはつらいと思うから。
体が思うように動かない日々。
なるべく、ストレス要因を与えたくなかった。
私は、ただただ見守ろうと思う。