起立性調節障害の娘が元気になるまで♡

小学6年生で起立性調節障害になった娘、元気になるまでの記録です。

中学3年生の春、修学旅行に行くが吐き気に襲われる

小学6年生で起立性調節障害と診断された娘、中学3年生になった。

毎年クラス替えがあるので、春は頑張って登校している。

お友達を作りたいし、仲良くなって提出物のノートを見せてもらわないといけない事情もあるようだ。

中学3年生の春にはさらに修学旅行があり、それに向けての話合いも楽しみで、遅れながらも登校していた。

とは言っても、朝は起きられないし、随分と体力も落ちて疲れやすくなっている。

修学旅行の朝集合時間に間に合うか、参加して体力が持つか不安だった。

担任の先生と、もし遅れた場合の合流方法について綿密に打合せをした。
学校側も協力的で、連れてきてくれさえすれば、あちらで対応してくれるとのこと。
本人も、とても楽しみにしていた。

当日、なんとか起きられて、行くことができた。

そして2日目の夕方、大丈夫かなと思っている折、先生から電話がかかってきた。

聞けば、1日目集合して新幹線に乗ったものの、周りがおやつを広げだした途端、ニオイで気持ちが悪くなったそうだ。

これまで、ニオイに敏感になることはなかったのだが、体調が万全ではなかったのだろう…

それからも体調が戻らず、アクティビティも担任の先生と待機、夕方も熱が出るなどして保健の先生にホテルの別室で診てもらっていたらしい。夜はみんなと過ごしたいと部屋で就寝したが、朝食・昼食も気持ちが悪くて食べられなかったようだ。

そして修学旅行最終日、先生からまた電話がかかってきた。

新幹線を降りて解散したとたん、緊張の糸が切れたようで、動けなくなってしまったとのこと。

迎えに行くと、校長先生や担任、他数人の先生に囲まれてうずくまっている。

私の顔を見た途端に、ほっとしたのか泣き出した。笑いながら。
先生に囲まれて、申し訳なさとか、安堵とか、色んな感情が入り乱れて、泣き笑いが止まらない様子だった。

腰が抜けて立てないので、肩を貸して歩く。
「ごめんね、ごめんね」と言う彼女の体は、脱力してすごく重い。

先生に見送られて、タクシーに乗って帰った。

話を聞くと、気持ちが悪くて思うように参加できなかったが、担任の先生がずっと付き添ってくれて、色々話も弾み、それはそれで楽しい思い出ができたそうだ。

担任の先生はとても評判が良く、笑顔の素敵な先生で、楽しそうに先生の話をする姿を見て私も安心した。

その後も先生の存在が心の支えになり、先生に会いに行くという登校へのモチベーションにつながることになったので良かったと思う。

そうして、楽しみにしていた学校最大のイベントになんとか参加することができたが、長期のデコンディショニングで思った以上に体力も自律神経も弱っていたのは、正直ショックだった。

この時を境に高校1年の初めごろまで、外を歩いていると急に気持ちが悪くなり、吐き気を催すようになった。